2010年 09月 28日
白石島後記〜「テシバ」と「茶摘み」について/いくつかの影絵
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10日間滞在した瀬戸内に浮かぶ島 岡山県白石島より昨日帰京
東京もすっかり秋で、雨で寒い
この10日間の滞在が僕のものつくり人生の中でどれだけ大切なものになるか、今ははっきりと文章に出来そうにないのですがひとまず白石島でお世話になった皆様、
天野サン,HAOの皆さん、アサヒビールのネモキン、白石小学校の子供達、アキさん、U、バヤンガンズのメンバーに感謝。
子供達とモノを作る事の面白さを再発見した事に加えて、今回は同じ場所に長く滞在してその島を描く事が出来たのがとても良かった。
〜昔、島では漁をする時、山に登って魚群を発見して船に知らせる「テシバ」と呼ばれる役目の人がいたそうです。その「テシバ」の方(確か90歳近かったと思う)に話を伺っている時にモノを観る事について深く考える事が出来た。
山に登って魚群を発見する事は、只単純に目のよく見える人が海を眺めてみつけられる物ではなく、天候、月日等様々な条件を総合的に判断して初めて成功する。それは魚群を「見る」というよりも、気配や流れを捉える様に「感じる」に近い感覚な気がした。
僕が今回、島に滞在して描かせてもらったいくつかの風景も見る事よりも感じることによって浮かんできた物が多い(技術的には大変つたないのですが…)。
滞在中2日間、僕たちは桑の葉を摘み、それを洗って日干しにし、乾燥した葉を揉んでお茶を作る作業のお手伝いをした。お茶の葉を揉んでいる時に、その葉を揉む手の皮膚から島の事が少しずつ伝わってくる。葉を揉む事によって山を知る、島を知る、海を知る。実際にその風景が似ているかどうかではなく、そこに流れている気配を影に映そうとしていたのかもしれない。
白石島はとても小さい島で、物質的な事柄に重きを置いてしまえば何もする事が無い場所とも思われるが、「テシバ」や「茶摘み」や他の素朴な日々の生活を通して島と海と空を全て感じながら生きようとするならば、こんなにも充実した場所は無いのではないだろうか。
西浜の昔の写真より
皇国岩(ミクニイワ)
大名開龍寺に行く
鰯とネモキン
そういえば僕も30歳
東京もすっかり秋で、雨で寒い
この10日間の滞在が僕のものつくり人生の中でどれだけ大切なものになるか、今ははっきりと文章に出来そうにないのですがひとまず白石島でお世話になった皆様、
天野サン,HAOの皆さん、アサヒビールのネモキン、白石小学校の子供達、アキさん、U、バヤンガンズのメンバーに感謝。
子供達とモノを作る事の面白さを再発見した事に加えて、今回は同じ場所に長く滞在してその島を描く事が出来たのがとても良かった。
〜昔、島では漁をする時、山に登って魚群を発見して船に知らせる「テシバ」と呼ばれる役目の人がいたそうです。その「テシバ」の方(確か90歳近かったと思う)に話を伺っている時にモノを観る事について深く考える事が出来た。
山に登って魚群を発見する事は、只単純に目のよく見える人が海を眺めてみつけられる物ではなく、天候、月日等様々な条件を総合的に判断して初めて成功する。それは魚群を「見る」というよりも、気配や流れを捉える様に「感じる」に近い感覚な気がした。
僕が今回、島に滞在して描かせてもらったいくつかの風景も見る事よりも感じることによって浮かんできた物が多い(技術的には大変つたないのですが…)。
滞在中2日間、僕たちは桑の葉を摘み、それを洗って日干しにし、乾燥した葉を揉んでお茶を作る作業のお手伝いをした。お茶の葉を揉んでいる時に、その葉を揉む手の皮膚から島の事が少しずつ伝わってくる。葉を揉む事によって山を知る、島を知る、海を知る。実際にその風景が似ているかどうかではなく、そこに流れている気配を影に映そうとしていたのかもしれない。
白石島はとても小さい島で、物質的な事柄に重きを置いてしまえば何もする事が無い場所とも思われるが、「テシバ」や「茶摘み」や他の素朴な日々の生活を通して島と海と空を全て感じながら生きようとするならば、こんなにも充実した場所は無いのではないだろうか。
西浜の昔の写真より
皇国岩(ミクニイワ)
大名開龍寺に行く
鰯とネモキン
そういえば僕も30歳
by yehoc
| 2010-09-28 17:25
| 川村亘平斎漫画/絵/影絵